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[美のルーツ]#1 大坪亜紀子

しもつかれを軸に「美」「健康」に特化したウェブサイト「千年ノ美」。本コーナーは「美」に焦点を当て、県内の独自の道で輝く人にその「美」のルーツをひも解いていきます。千年とまでは言いませんが、明日、自分を前向きに生きる「美」のヒントを一緒に見つけましょう。

下野市在住、美容師(屋)
大坪亜紀子さんの美のルーツ

1:納得いかないなら「自分が究める」
2:その道を突き詰める
3:「個」と向き合う

Akiko Otsubo

大坪 亜紀子

 「双子にコンプレックス」「ちょいヤンキーでした」「都内の美容師時代はメークも落とさずリサイクル」「一度、ハサミを置こうと決めたんです」
キラキラ大きな目、爽やかな笑顔からは驚きの言葉が続々と発せられた。初回のゲストは、下野市の地域おこし協力隊でフリーの訪問「美容屋」として新ジャンル確立にまい進する大坪亜紀子さん(38)。女性も憧れるナチュラルビューティーの大坪さんに「美」のルーツを聴きました。

 

 

ルーツ1 納得いかないなら「自分がやる」

髪型はもちろん、白やベージュ、淡いグレーなどナチュラルカラーの装いの中にディテールや素材に洗練されたセンスが光る大坪さん。都内出身と思いきや実は北海道札幌市出身で、しかもちょっとグレてた時期もあったそう。

「5歳上の姉、私は双子で3姉妹だったんですけど、物心ついた時から髪の毛は素人の母が切ってくれてました。でも双子の妹と同じ髪型で服装も同じ。いつも納得できなかった。だから、自分で三つ編みやカチューシャでアレンジして、美容室デビューをすごく楽しみにしてたんですけど……。中学、高校と期待していた美容室に行っても切られ過ぎたり、意図しない髪型にされたり。『自分と同じく納得いかない人がたくさんいるんだろうな』『だったら私が美容師になった方が絶対喜ぶ人をたくさん作れる』と美容師になるって決めたんです。姉の買ってきたファッション雑誌を見ていたのも影響あったかも」

 

「遠回り」も意味がある

「でも専門学校の倍率が高かった。ヤンキーの先輩と遊んだり、門限破ったり、わりとグレてたから(笑)成績が足りなくて、推薦も取れなかった。とりあえず『それなり』の短大に入ったけど、やっぱり『美容師になりたい』って思って、親を説得して2年後美容の専門学校に行かせてもらいました。
2年遅れだったけど、『美容しかない』って思えたことが強みになったし、誰よりもうまくなる!っていう強い決心につながったので無駄じゃなかったです」

 

 

ルーツ2 TOPを極める

 

札幌の専門学校を卒業後、千葉県のサロンを経て、25歳で東京・原宿へ。
「やるなら先端の場所、東京と漠然と思っていた。けれど想像以上に辛かったです。今は働き方改革で変わってきているけど、当時は就業時間の制限は無し。朝6時に出社してシャンプー練習、店の掃除して開店。営業終わったら夜の練習、お店の掃除。毎日平気で深夜1時、2時。お店で寝ちゃうこともあった。コンビニをハシゴして、高カロリーのものたくさん食べてすごく太ってました。帰宅しても、化粧を落とさず再利用とかも(笑)。
でも、親を説得して自分の意志で決めたんだし、25歳という年齢のプライドもあったから『辞めるわけにはいかない。誰よりもうまくなる』って、めちゃくちゃ練習しました。全部自分で決めたことだから」

 

武器は「コミュニケーション」

スタイリストになり業績も上々、セミナーの講師や商品開発にも携わるなど業界の中でも一目置かれる存在に上っていったが、憧れの美容師像に疑問が生じる。
「『お客様ありき』のはずが疲れて100%の力が出せなくなっていて、何のために美容師になったんだろう、頑張ってきたんだろうって。だから、接客以外の仕事を減らして予約も制限したら、やっぱりお客様とのリアルなやり取りが好きだ、自分の成長はお客様が支えてくれているんだって実感できました」

技術至上からコミュニケーションに焦点がシフトしていったという。
「お客様が納得できる髪型にするために一番重要なのは『技術』だってずっと信じていたけど、『どんな髪型、どんな風になりたいか』を引き出すためのコミュニケーションが重要だって気付いたんです。だから、誰よりも頭を使って動いていた。半面、接客へのこだわりが強すぎてアシスタントと何度もぶつかり合いましたけどね」

 

 

ルーツ3 「個」を極める

 

一定のポジションを築き、「お客様中心」の美容に手応えを感じ波に乗った2019年2月、突如、縁もゆかりも無い下野市の地域おこし協力隊に就任する。
「お客様とコミュニケーションを育んでいく中で東京にこだわる必要が無くなってきて。『自分』という美容師って何、その前に『自分』って何。『自分』と向き合いたくなったんです。40、50代にどうありたいか考えると今しかないなって。 一度、ハサミを置く決意をしました」


「美容以外の取り得を考えた時、話を聴くことができて、ちゃんと内側の気持ちを吸い上げられるのが特技だなって。人との付き合い方で何か可能性を見つけたいと思って2年くらいネットで自分を試せる場所、職種を探す中、見つかったワードが『地域おこし協力隊』。中でも、自由度が高くて東京へのアクセスもよかった『下野市』が目に留まり、現地で役所や地域活性に頑張る方々の話を聴いて『ここだ』とすぐ決めました」


拠点は、広大な散策林、コミュティー施設、古民家カフェ「10 picnic tables」を有する天平の丘公園内のシェアスペース「夜明け前」。観光資源の活用やSNSでの情報発信、イベントのサポートなど、「大坪亜紀子」として多くの人と出会った。しもつかれブランド会議(SBM)にも入り、多くの仲間ができた。

 

 

新ステージ 「動ける美容屋」

 

1年目が終わる頃、SBMの仲間でもある、市内の有料介護付き老人ホーム「新」の横木淳平施設長と「訪問美容 giveto.」を立ち上げ、再びハサミを持った。
「任期は3年。1年目は自分を知ってもらうことに徹して、関係を築けた上で『あ、美容師なんだ!坪ちゃんに髪切ってほしいな』って。自分の中ですごく理想の流れが築けた。自分を知った上で美容を求められるならやろう。ここからだって。自分の中の理想の美容師像が見えてきました。
そういう思いを横木さんが吸い取ってくれて『大坪さんはハサミを持った方が良い』『年齢や環境に関係なく〝自分らしくいられる美容〟を提供してほしい』と言ってくれて『giveto.』が生まれたんです」


「新」に入居するお年寄りや障害をもつ子どもたちの髪を切る中で新たなステージに入った。
「設備がそろっていないことに戸惑いはあるけれど、だんだん形になってきました。施設への訪問美容はスピード重視のイメージかもしれない。でも私は、求めている人の心に届く、満足度の高い美容を提供したい。まず下野市内で、おしゃれなおじいちゃん、おばあちゃんを増やしたい。なかなか美容室に行けない、あきらめていた人が『美容』を取り戻せるようなことをやっていきたい。ハコの無い『動ける美容師』だからできること、個に特化した美容を提供していきたいです」


「エンゼルメークをした時もご家族がすごく笑顔で。本人以外の周囲の反応を意識していなかったことに気付けたのも大きい。視野が広がりました。一度ハサミから離れたから気付けた。栃木に来て、いろんな人に出会って良かった。幼少期~学生時代、東京にいた時、そして今、第3ステージが始まったぞ!って感じです」

 

内側にフィットした「美」

 

語り終えた大坪さんの目は光が満ちていた。話を聴き感じた。サロン時代は「考える美容師」だったが、今はより自然体で「感じる」に変わったのではないか。大坪さんの施す美容は「その人が自分らしく居られる美しさを一緒に発掘する」共同作業、サポートなのだと。

「美」で大切なことの問いに「自分の内側にフィットしているか否か」も重要と教えてくれた。母のカットする髪型へのコンプレックスから始まり、遠回りに見えたかもしれないが諦めず自分を信じ、努力し、自分を磨き続けてきた大坪さんだから説得力がある。高い化粧品を買う前に、まずは鏡の奥の自分と向き合ってみようと強く感じた。

今特集が、皆さんの「美」のルーツのひとつになりますように。

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3 コメント

chitosenobi 2020年6月6日 - 5:30 AM

ツボちゃんの姿勢が伝わる良記事でした!
しかし元ヤン系とはシモツカレヤンキーとの必然性を感じるw

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さなえ 2020年6月6日 - 11:56 PM

いつも笑顔が輝いている ツボちゃんに、こんなルーツがあったとは…💦 大きな瞳の奥には、しっかり未来を見据える 力強さを感じます✨
惚れ直しちゃいました😆

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かお姉 2020年6月7日 - 10:14 AM

ツボちゃんの生き様というか信念がバッチリ伝わって来ます!
更に興味度と親近感が湧いてきました🍀

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